2011年1月1日土曜日

目撃者を探しています! 9/20 追記

原田です。

皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。

先週は、沢山の方々が新宿駅に励ましに来てくださいました。
現在7057名の方々から、ご署名をいただくことができたのは、皆様の応援のお陰です。
ご支援してくださる皆様、本当にありがとうございます。

皆様に今日は1月11日に私が新宿警察署にお伺いした時のことをお伝えしようと思います。

■1月11日
午前10時に新宿警察署へ伺うと約束した日、私は山の手線で新宿駅へ向かいました。
手には鞄と白い花束。鞄のなかには警察に答えていただくための質問状2通が入っていました。
白い花束は、息子に捧げるためのものです。
新宿駅では息子が暴行を受けたと思われる現場に赴き、手を合わせました。そして、西口の改札を抜けると、すぐ目の前にはタクシー乗り場。その右手横に交番が見えました。
息子が連れてこられ、3人の警察官に取り囲まれた、西口交番です。なかには数名の警察官がいました。私は無言で交番内に入っていきました。
私はそのまま床に白い花束を置き、数分間、亡き息子に黙祷を捧げました。その間、誰ひとりとして話しかけてくる警察官はいませんでした。
そして、ふたたび花束と鞄を手に取ると、交番を出て、タクシーに乗って新宿警察署を目指しました。
当時の新宿警察署は、吹き抜けのある1階に受付はなく、誰でも好きなように入れるようになっていました。階段で2階まで上がり、受付で黄海副署長と面会の約束がある旨を伝えました。
しばらく待つことになり、辺りを見渡すと、吹き抜け側の2階の手すりの前に2脚並んだ長椅子が、目に飛び込みました。
「あぁ、あそこで息子が」
1階が出入り自由な状態でしたから、風が吹き込んでくる。私には野ざらし同様に見えました。
息子は午前4時まで続いた事情聴取から解放され、この長椅子で仮眠をわずかに取っていたのです。
「こんなところじゃ、疲れた身体が休まるはずはない……」
いまさらながら、不憫で仕方がありませんでした。私はその長椅子に腰かけ、息子の無念を噛みしめていました。
そこへ、ふたりの男性が現れました。新宿警察署の黄海副署長と、菅原生活安全課課長です。彼らは一度顔を見合わせてから、私に話しかけてきました。
同じ2階の応接室に案内され、黄海副署長は、笑みを浮かべておっしゃいました。
「今日はもう我々はですね、腹を裂いてですね、本当の事実のありのままを、お話しようと思っているんですよ」
しかし、その前に私がボイスレコーダーでの録音をお願いしたときは、ふたりとも血相を変えて、「やめてもいいですけど」、「普通、録音しないんですよ」、
「出されて、やられたらお話できない」と口ぐちに拒否されました.

私が、「それでは、お話を」と切り出すと、「まあ、お茶でも一杯いかがですか、せっかく新宿署に来ていただいたんで。まあ、あとでいろいろ見ていただきたいなぁと思っていますんで」と、
黄海副署長、菅原生活安全課課長ともに熱心にお茶をすすめました。
「私に連絡をいただいたのは、ネクタイのことなんですか?」と質問をすると、「ネクタイのこともありますけれど、時間も経過しましたし、そろそろ説明を申し上げたいなぁと思いましてご足労を」とおっしゃいました。
まず、私は最初に、12月13日に黄海副署長からの電話で告げられた言葉を確認しました。私が少しずつ読み上げて、確認をお願いしました。
「おおぜいの人が行き交う新宿駅で息子さんを痴漢と断定するのは無理と痴漢容疑は晴れたが、その後、お互いの暴行容疑で取り調べが続いた」
と読み上げたとき、「取り調べ、じゃなくて事情聴取ですね」と副署長から訂正が入りました。「取り調べじゃなくて、事情聴取?」と私がたずねると、
「取り調べというと、犯人じゃないですか。ねえ。そうじゃないんで。事情を聴くという意味です」と言われました。
また、早朝に帰ってもいい、と言ったという説明については、「ずーっと長く署のほうのなかに帰ってはいけませんよ、という状態を作るわけにはいかないから」とのことでした。
そして、黄海副署長はこう言いました。
「痴漢の疑いというのは、たしかにかけられたんです。やっていないということもわからないんです。特定するにいたらなかった。そういうことです」
痴漢をしたか、痴漢をしていないか、両方のケースがあると言われ、私は「これだけは言わせてください、息子のために」と申し上げました。
「息子が、痴漢をしたり、自殺をしたりするようなことは、絶対にない、と、知り合いの者、親戚の者、大学の先生、息子の友人、みんな申しております」
黄海副署長は、「それはご本人にしかわからない」と言いました。私は、その言葉に、とても腹が立ちましたが、「そうですね、いまとなってはそうでございますね」と答えました。   
すると副署長は
「我々もそう思って冷静に判断したんですよ。息子さんのために判断したんですよ。結果的には。だって疑いかけられて、痴漢を特定にいたる材料がなかった、特定にいたらなかったということを我々は認定したんですよ」
息子がこの世にもういない状況において、「息子さんのために判断した」と言い切れる神経に私は耳を疑いました。
「たとえば、ひとりの悪意のある女性がいて、なにかの腹いせにということは?」とたずねると、
「たとえばというのはやめましょう。実際にあった話ですから。すれ違ったときにお腹を触られたんではないか、ということで、直後にいたのが息子さんですから。すれ違って。
それで女性が被害者だということで、周りの学生も加勢して抑えようとしたら逆に抑えつけられたのは向こうのほうだったんです。
息子さんのほうが馬乗りになっちゃったんですよ。怪我をするとしたら向こうのほうなんですよ」
と言われましたので、「では、トラブルとなったきっかけは?」と問うと、副署長の返答はこうでした。
「たとえばの話をやりましょう。女性が、この人が痴漢だと言ったら、一緒にいた人間はどうします? そんなの放っとけって言いませんよね。摑まえなきゃいけないと思うのが普通じゃないですか。
とりあえず事情を聞くために、ちょっと待ってくださいよって、押さえようとするのが普通じゃないですか」
「ちょっと待ってくださいよって、引き止めるのに、なんで馬乗りになったりする事態になったんでしょうか」
「だから、息子さんのほうが強かったんじゃないですか。結果的には駅員さんが見ているんです。息子さんが、相手に馬乗りになっているところを見ているわけですよ。相手は鼻血だして、怪我してる」
「息子が一方的に暴力を加えていると判断されたわけですか?」
「わからないです。要するに、お互いのトラブルじゃないかっていうことで、駅員は現場に行ったんです。そのときに息子さんは110番をしている」
このやり取りのあと、私は鞄から質問状を取り出しました。息子の経緯をたどりたいので、いつなにが起きたのか、質問状に空欄を設けている質問状です。
しかし、副署長は、受け取らず、「自分で書いてください」とおっしゃいました。
■物証はない
私が読み上げた質問状に対して、副署長は次のように回答しました。
・相手の学生3人は、午前1時ごろから別室で事情聴取を受け、午前4時ごろに一緒に帰った。
・息子は同じ時刻ごろから事情聴取がはじまり、午前4時ごろに終わったが、本人の「自宅に帰らないで、ここで寝たい」という希望により、2階で休んでもらった。
息子が休んでいるところを、署員は5時15分ごろに見たが、6時半ごろにはすでにその姿はなかった。息子が新宿署を出たところを、誰も見ていない。
・警察としては身柄拘束したわけではない。あくまで任意の事情聴取だった。
・後日、息子は相手を暴行容疑で訴えるため、被害届を提出すると言っていた。
・結局、被害届は両方から出ていない。
・両方の事情聴取により、警察は学生に「原田さんに痴漢の疑いがかけられていましたけれども、原田さんがやったという特定はできませんよ」と説明した。
・新宿駅のビデオカメラの確認はやっているが、普通は、階段を上から撮る、下から撮るという、階段の途中を撮影したカメラはない。息子と女性がすれ違ったことが確認できるビデオテープはない。
物証はない。
・ ビデオテープはないが、息子と女性がすれ違ったことは事実である。その根拠は、女性が、「犯人」の姿格好、身体の特徴、すれ違った状況を憶えていて、その 情報を総合して間違いないと判断したためである。だから、ビデオによる証拠は裏付けるものになるか、ならないかという話である。
・通路にはビデオカメラがあるがトラブルの様子は映っていない。したがって、どのビデオカメラにもトラブルがあった時点の映像は映っていない。
・息子に目立った外傷はなかった。
・女性の服装から指紋を取る等のことは、いま、捜査でいろいろやっている。しかし服からは指紋がとれるということはない。
・できれば、歯ブラシなどDNA鑑定に必要なものを任意提出してほしい。事情聴取の当日に採取しなかったのは、息子の死を予測しなかったから。後日来てもらったときに提出してもらうつもりだった。
・しかし、いま調査しているのは、暴行容疑についてで、痴漢容疑ではない。痴漢行為については特定できずで終わっている話。
・息子と相手方3人のアルコール検査の数値は、個人情報のため、お話できない。息子は泥酔まで至らなかったが、かなりの量が出ている。相手は男性ひとりが飲んでいない。息子とトラブルになった男性、女性はそれぞれ微量だった。
・110番通報の内容は、駅員に取り囲まれているとしか、記録がない。

いま、こうして列記してみても、黄海副署長の説明に、矛盾点がたくさんあることがわかります。
息子のボイスレコーダーを何度も聴いたあとでしたから、すぐに説明の不自然さに気づきました。それだけではありません。1月11日以降、新宿警察署が取った対応は、この時点で確認したことから、大きく変遷していくのです。
ちょうど110番通報について質問をしているときだったと思いますが、副署長は急に書類を見ながら、「お母さん、我々がなんか悪いことしたみたいに、いつ も言われちゃうのはつらいところがありますね。警察がなんか息子さんに悪いことしたみたいじゃないですか」 とおっしゃったのです。
ですから、「私はここでなにがあったのが知る義務がございます。息子がどういう足取りをたどって早稲田駅まで行ったのか、親として知らなければいけないので、お伺いしているんです」と申し上げました。すると、
「そ れはごもっともですけれども、息子さんは痴漢っていうことで疑っていたんですけれど……我々としてはなんでそういうふうに言われなきゃいけないのかなと 思っちゃうんですよね。逆につらいですよ、我々としても。で、息子さんを失くしたつらさはわかりますけれど、我々としても、一生懸命原田さんのためにやっ たのに、なんでそんなに言われなきゃいけないのかな、とつらいところがありますよ」
黄海副署長の言葉を聞いて、私のなかに抑えがたい感情が沸き上がりました。
「あの、私も、痴漢容疑を掛けられた人間が、どのような処遇を受けるかということは、今回のことがあるまで、まったく知りませんでしたので、まず第一にショックだったのは、
息子が痴漢にされてしまったこと。そして、そのために事情聴取を受けたこと。そして、その後、亡くなってしまったことです」
「うん、亡くなったことは不幸ですけれども、警察署としては痴漢を疑われてきたときに、事情を聴くのは当たり前の仕事です」
黄海副署長は自分たちもつらいと言う。息子を失った私は、もっとつらい。
けれども、一番つらく、悔しかったのは、息子自身のはずです。その心情を慮るような言葉は、この日、一言も伺うことはできなかったのです。
■確約証
私は副署長に、息子が書いた確約証を見せていただきたいと希望しました。ボイスレコーダーには、そのときの状況が残されていました。
息子は、事情聴取が終わりに近づくころ、〈明日の仕事に支障をきたすので、休養を取りたい〉と申し出ました。事情聴取を受けた部屋でわずかな時間、パイプ椅子を並べて休んでいたところ、
午前3時36分、刑事がやってきて、息子を起こし、後日呼び出しがあれば出頭に応じる確約証を書いてほしいと言われました。

刑事 後日ですね、刑事課、地域課、どちらかのほうで被害届を出してもらいますんで、今日は遅くなったんで、今日のところはいいですので。で、後日、出頭願い、警察のほうで呼び出しがあった場合は、こちらのほうに出頭しますよ、と言う確約書のほうを書いてください。
原田 (くぐもった声で)ちょっと待ってください……。
刑事 確約書というのは、いつでも警察署に来ますよって、それだけでけっこうです。要はあなたが確約証を出してくるときに(笑)、警察の呼び出しに応じますよって(笑)。
原田 ええ。書式はないんですか?
刑事 あぁ、ご自由に書かれてけっこうです。
原田 ……どう?
刑事 書きづらい?
原田 非常に、……どう表現したらいいのか。
刑事 あぁ、じゃあ書こうか。私が体裁を(笑)。
原田 えぇ、申し訳ないです。
刑事 でね、ここだと休みづらいから、どうします? 下のソファで休みます?
原田 (弱弱しい声で)できれば、そうしたいです。
刑事 わかりました。これを書いたら下に行きましょう。
原田 うん。
刑事 朝何時ごろ起こしゃいいですか?
原田 そうですね……7時半ぐらい。
刑事 7時半ごろね、わかりました。

明け方、意識が朦朧としているなかで、慣れない書類を書かなければなりませんでした。
息子の声の様子から、衰弱しきっていることがわかりました。まず刑事が確約書の体裁を手本として書き示しました。
息子はこのときコンタクトレンズを外していました。裸眼で0・1以下、そして疲労のため、文字を目で追うのがつらいようでした。そこで刑事が文面を読み上げ、あらためて息子が確約書を作成するという作業になりました。
書き写しながら息子は〈法廷でぜんぶ、という運びになるんですよね〉とたずねました。すると、刑事も〈裁判というかたちになりますよね〉と返しました。
息子は視力矯正ができていないため、字体が乱れることを気にしていました。

原田 この視力の状態で資料を書くと、社会的に欠陥があるような。
刑事 そんなことないでしょう(笑).
原田 いや、どうでしょう。
刑事 取り調べに、警察署にいつでも来ますよっていう(笑)、あれですから、ハハハ。
原田 これが公的に扱われるわけですよね?
刑事 いや、これ、警察署だけのあれですから。要はこういうふうに警察署に呼び出しがあったら来ますよっていう、我々に対する申し立て状ですから。
原田 ちょっと注意書きをしたいんですけれど。ちょっと視力が落ちた状態でしたっていう。
刑事 別に構わないですよ。警察署のほうだけですから。
原田 間違いないですか?
刑事 間違いないです。(確約書の文面に合わせて)……しましたが、このことで……警察署から、呼び出しがあった……いつでも……まあ、いつでもいらないか……出頭します。
原田 出頭って?
刑事 うん、お伺いしますでいいでしょ。自分のお言葉で。で、その下に平成21年12月11日。
原田 この字だと……。
刑事 大丈夫ですよ。ここに電話番号書いてください……で、ここに警察庁新宿警察署長。
原田 警察署?
刑事 警察署長ですね。新宿って書いておきゃいいや。新宿警察署長、で、立川の立、延びる、哲学の哲、そう。
原田 (書きながら)相手方とはこのあとどうなるんですか?  
刑事 あなたのほうが被害届を出して、その暴行の事実について……それはなんでしょうか?
原田 矯正視力がない旨を。
刑事 ハハハ、どうぞどうぞ、フフッ、ご自由にお書きください。いいですよ、注を入れなくても……らん、らん、らーん、なんだ? 乱筆……下にね。

刑事の声には、ときに含み笑いが混じっていました。いっぽう、息子はボロボロの身体で、それでも先方の要請に応じようと、力を振り絞っていました。
このときに書かれた確約書をこの目で見たいと望みました。
息子が危惧していたとおり、確約証の文字は乱れていました。実は、コインロッカーで発見された鞄のなかのコンタクトケースに使用済みのコンタクトレンズが2枚入っていました。
息子のコンタクトレンズは毎日使い捨てのものなので、それを見たときは、このコンタクトレンズを外した時点では、朝起きて、もう一度装着し、自宅には寄らず、その足で大学まで出勤しようとしていたのかしら、と考えておりました。
黄海副署長から見せられた、確約証の文字を見て、私は絶句しました。息子が事情聴取の際にノートに走り書きしていた文字と同じだったからです。
そのノートは鞄のなかから見つかりました。初めのほうのページは、新しい職場のための覚え書きや、講義の内容だったので、仕事用のものだと考えていたのです。
しかし、あるとき、なにか手掛かりがないかとページを後ろのほうまで繰っていると、急に、乱れた字で、シンジュクケイサツショ、録音で人権、防犯という文字や、人の名前、
階段の両脇に記された15、16という数字、そして、左下隅に「こうなっちゃった人生 事件 どういうわけで」と書かれていたのでした。
その乱れた文字は、息子の身になにか異常事態が発生しているのを知らせるシグナルそのものでした。確約証の文字もまた同様です。私はしばらく見つめたまま動けませんでした。
ボイスレコーダーを聴いていても、心のどこかで息子が自殺するなんて絶対にないという確信に似た思いを持ち続けていました。
しかし、その気持ちが揺らいだのです。そして、あぁ、息子は自殺したんだなと、はじめてそう思いました。
そして、黄海副署長に「もともと字がきれいな子じゃないんですけれど、本当にひどい精神状態で書いたのがわかります」と申し上げました。文面は次のとおりです。

確約証

本日、私は暴行を受けたことで新宿警察署で話をしましたが、この事で警察署から呼び出しがあれば、随時お伺いします。
平成21年12月11日
原田信助 印

新宿警察署長
安延哲夫殿

上記 ●(書き損じを消した後)視力が逸した状態のため乱筆になりました旨を記載します。

私はこの確約証を写真で撮らせていただけないかとお願いしましたが、無理だということでしたので、できるかぎり息子の文字を忠実に真似して、書き損じの後も同じようにしてノートに書き写しました。
■写真
また、この日は、新宿警察署で最後に息子が撮られた写真もこの目で確認しました。
息子の格好は、上着がぐしゃぐしゃになっていて、ワイシャツは、襟元が乱れ、ズボンが飛び出し、暴行を受けた際に引っ張られたからか、長時間の取り調べの際にそうなったのか、ネクタイは床のほうまで結び目が垂れさがっていました。
休んでいるところを起こされた息子は、確約証を書き終えると、次に写真を撮影すると刑事から言われました。

刑事 原田さんね、今日の服装のやつだけ、変わっちゃうんで、服装のとこだけ、こういう状況でしたよっていう、いまのネクタイがこうなっている状況の写真だけ撮りますから。そのときの状況ですよね? 引っ張られた。
原田 いやあの、駅員さんのあとですよ、これは。
刑事 うん、駅員さんのあとでけっこうですから。ここにいらっしゃった姿をそのまま撮りますから。
原田 ただ、そのあとに睡眠、仮眠を取らせていただいたり……。
刑事 あ、大丈夫ですよ。うん、いまの、とりあえず今日の服装だけ撮らさせていただきます。
原田 ああ。
刑事  どうぞ、お越しください。全身だけで結構です。
原田 それは、当時と……ちょっと待ってください。
刑事 いや、今日の服装、服装。
原田 任意ですか?
刑事 (さえぎって)よろしいですか。いきますよ……お鞄をお持ちになってください。
原田 ちょっと待ってください。それは被疑者としての撮影でしょ?
刑事 違いますよ。
原田 違いますか。まったく理解できないことが多い。
刑事 いや、法廷でも、それはこうですよっていう証明になりますから。よろしいですか。
原田 ええ、なんでいま出てくるんですか? そういった話が。
刑事 要は、このときにあなたが暴行を受けた……。
原田 (さえぎる)確認させていただけますか?
刑事 どうぞ。

このとき、息子は鏡で自分の姿を確認したようでした。

刑事 はい、それでよろしいですね。
原田 髪も、かなりなんか……。
刑事 (笑いながら)髪は関係ないでしょ。

原田 狂人みたいな感じに見えますがね。
刑事 関係ない、関係ないです(笑)。
原田 本当ですか?
刑事 関係ない。……よろしいですか?
原田 ええ、これは……。
刑事 はい、どうぞ。

そして、シャッターが切られました。
写真のなかの息子の表情は、我を失っていました。自分に起こっていることが信じられないといった様子でした。思えば、ひどい暴行を受けたあと、4時間近く、事情聴取を受けていたのです。
どれほど疲れ果てていたことでしょう。息子の視点は焦点が定まらず、どこを見ているのかわかりませんでした。自分の人生の果てが見えてしまったのかもしれません。
25年間、育ててきて、はじめて見る、息子の表情でした。
私はショックを受け、また言葉を失いましたが、我に返りました。この写真こそ、最終的に死にいたらしめられるまで苦しめられた、動かぬ証拠だ、と。
「写真に撮らせていただいていいでしょうか」
そう申し出ると、黄海副署長は、「本来、裁断しなきゃいけない性質のものですから」と許可してくれませんでした。私が、その意味がわからないでいると、「息子さんは犯人じゃないんで、裁断しなきゃいけないんです」とおっしゃいました。
私は焦りました。「裁断する前にいただけないでしょうか」
「いや、取っときますから、これからも」
「いつまで取っていただけますか?」
「ずっと取っておきますよ」
「ずっと、とおっしゃいますと、私が生きている間でございますか?」
「取っておきます」
息子の写真は生きている間はずっと新宿警察署で保管される、裁断されない、と副署長が明言したことに、安堵しました。

ところが、息子の写真は、その18日後に、東京都迷惑防止条例の被疑者としての書類に添付されて、検察庁に送られることになるのです。
息子の写真は、私の生きている間はずっと新宿警察署で保管される、裁断されない、と副署長は明言しましたが、
実行されることはありませんでした。


これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。


●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名



●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名

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