2011年1月1日土曜日

目撃者を探しています! 11/5 追記

原田です。

皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。

現在7461名の方々から、ご署名をいただくことができたのは、皆様の応援のお陰です。
ツイッターやネットで応援してくださる皆様、いつもありがとうございます。

皆様に今日は、8月からご支援くださっていたジャーナリスト黒木昭雄氏のことをお伝えしようと思います。

黒木氏と初めてお話をしたのは、7月も終わろうという真夏の夜のことでした。
新宿駅で、一人の青年から「黒木昭雄氏にご相談ください」と言われ、帰宅後、黒木氏のブログから電話番号を見つけて、何度かお電話をしました。
このころ、黒木氏は和歌山県に滞在中で、とてもお忙しい時期でしたが、数日後にご連絡くださいました。
「今は暇がないので、落ち着いたらお話しましょう。」とおっしゃってくださいました。
お電話で何度かお話をしている内に、黒木氏が[日本の警察は改革しなければいけない]という考えをお持ちでいらっしゃるということが解り、
「黒木先生、本当にそれが実現できたら良いですね。」
「やりますよ。ただ、すぐにはできない。構想から練らなければならない。」とおっしゃいました。
その数日後に以下をブログに追記しました。

◆皆様に8月25日の追記でお知らせしましたが、

ジャーナリストの黒木昭雄氏と「警察改革を推進する全国ネット」構想について8月24日にお話をいたしました。
黒木昭雄氏の推奨する「警察改革を推進する全国ネット」構想とは
●理不尽な取調べ
●明らかなる冤罪
●警察の嘘
等がテーマとなります。ご自身やご家族のために「警察改革を推進する全国ネット」の構想に是非ご参加くださいますようお願い申し上げます。

数日前に、黒木氏が、新しいブログ(黒木昭雄:調査取材事務所)を起ちあげた際に、息子の事件の目撃情報を求めるリンクを貼ってくださいました。
ありがとうございました。
全国に1万人以上の息子と同じ冤罪被害者がいるというご連絡をいただきました。
この現状は、もう皆様にも人事ではなくなってしまっているということと思います。

黒木氏は、この「警察改革を推進する全国ネット」を一年後に起ち上げることを計画されていました。
ツイッターの黒木氏の支援者からは、「警察改革推進党」を創ってほしいという声も聞かれ、黒木氏が党首となられたら、私は一番先に入党させてくださいとお願いをしていました。
黒木氏は「まず、核を作ることから始めなければならない。」とおっしゃっておいででした。
「人は不思議と、核ができると自然に集まってくるもの」というのが、黒木氏のお考えだったのです。

黒木氏と初めてお会いできたのは、9月29日でした。
息子の事件の経緯を、真剣な表情で聞いてくださいました。
「お母さん、信助さんの無念を晴らしてあげましょうよ。」とおっしゃってくださった時、黒木氏は何かを変える力をお持ちの方だと確信したのです。

その後、新宿駅での目撃者探しは続きましたが、ある方がツイッターで息子の事件を知り、9月からポスターを掲げる等のご支援を始めてくださいました。
それまでは、通常一人で呼びかけをしていましたが、二人になった途端、立ち止まってくださる方や
「チラシください」とお声をかけてくださる方が急に増えだしたのです。

10月13日に、目撃者の方と出逢うことができたのは、この方のお蔭でした。

ところが、新たな目撃者の方の証言を、私の代理人である弁護士の先生が10月18日に検察庁特捜部佐藤検事に提出された翌日のことでした。
その日、いつも通り、ご支援くださる方がポスターを掲げて立たれていたところへ、JRの職員の方が来て、「こんなところに立っていないで、改札の外へ行ってください」とおっしゃいました。

翌20日は、その方に「ご迷惑をおかけしてはいけないので、今日は私一人で呼びかけをいたします」と言って、一人で立っていたところ、
JRの職員の方が近付き、突然1メートル程の距離から私に向かってフラッシュをたきました。
間違いなく顔に向けて撮っていましたので、「私には肖像権がありますので、その写真はお返しください」と言いました。
その職員の方は、「私はあなたを撮ったのではない。工事中の現場の写真を撮っただけです」とおっしゃって、逃げるように駅長室に入って行かれました。
翌日、黒木氏に起こったことをお話したところ、「JRは、あなたを威力業務妨害で訴える準備をしている。新宿駅構内の目撃者探しは、もうやめた方が良いでしょう。」と諭してくださいました。
それでも私は、息子の代わりに目撃者を探さなければいけないという一念で、やめることはしませんでした。

10月26日に再び、JR新宿駅のU助役に写真を撮られた時は、久しぶりにお立ち寄りくださった方まで、2回もフラッシュを浴びてしまいました。
20日と同じように、写真を返していただく様お話をしましたが、やはり、「あなた達を撮ったのではない。構内の写真を撮っただけです」というお答えが返ってきました。

翌日、黒木氏にお電話で、そのことをお伝えしたところ、ひどくご立腹なされました。
「あなたは、向こうが、威力業務妨害で逮捕する用意をしているのが、まだ解からないのですか。あなたが逮捕されたら、一体、誰が信助さんの無念を晴らすんですか!」
黒木氏に言われて、私は目が覚めたのです。

黒木氏と最後にお話をしたのは11月1日の午後4時頃でした。
「明日メールをお送りいたします」「わかりました」が、最後の会話となってしまいました。

国家権力に対しても、「悪いことは悪い」とはっきり言える《たった一人のジャーナリスト黒木昭雄氏》は、生涯をかけて追求された警察の改革と、
何年も追い続けた【岩手県17歳少女殺害事件】の解決を見ることなく、2010年11月1日に永眠されました。
ここに黒木昭雄氏のご冥福をお祈り申し上げます。


これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。


本日発売の夕刊フジ11月6日号の5面に掲載されました。
”被害者”仲間から激しい暴行
目撃者現れ新展開



●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名



●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名

[※] 携帯電話専用です。


[※]皆様に次回は、JR東日本のコメントの変遷についてお伝えしようと思います。

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