原田です。
皆様から沢山のコメントや励ましのお言葉をいただき感謝しています。
現在9870名の方々から、ご署名をいただくことができたのは、皆様の応援のお陰です。
ツイッターやネットで応援してくださる皆様、いつもありがとうございます。
皆様に今日は年末からお正月にかけての出来事についてお伝えしようと思います。
12月28日に今年お世話になった方々とささやかな忘年会を開きました。
一次会は昼食会で、二次会はコーヒーショップで行いました。
新宿駅での出来事や、息子の早稲田大学時代のお話などをして時を過ごしました。
元旦は息子の録音の音声を通しで聞きました。
息子の気持ちを考えながら、静かに聴きました。
泣きたくなった息子の気持ちが手に取るようにわかりました。
いくら暴行の被害を訴えても、メモでさえ取らない新宿署の3人の刑事の方々に、憤りを通り越して絶望へと追いやられていく息子の涙の声を聴き、
本当につらかったんだなぁと息子の無念が胸に込み上げてきました。
1月3日は、息子が学生時代から年末年始に奉仕に行っていた鎌倉の鶴岡八幡宮に行って参りました。
息子は「神社へ行くと心が洗われるような気がする。」と言って、神社へ行くのを楽しみにしていました。
一昨年の12月10日の午後11時頃に関わってしまった方々のために行けなくなってしまった鎌倉でした。
駅に降り立ちましたら、風情のある駅舎と、小町通りの御土産店の佇まいについ見とれてしまいました。参道から参拝まで、1時間程かかりました。
息子が立ち寄っていたであろう宝物殿も見学してきました。
鎌倉が源氏の拠点だったことを思い出しながら見学しました。
息子と一緒に写真に写っていた方々はいらっしゃらないかと探しましたが、どうやらいらっしゃらないごようすでした。
息子は3日は確か、午後5時までの奉仕だったと記憶していますが、鎌倉は既に日が翳り始めていました。
小町通りの喫茶店で珈琲を飲みながら、通りすがる人々を見ていましたら、仕事を終えて帰路に向かう息子の影を見たような気がしました。
テーブルの上に置かれた一輪挿しの南天の小枝がとても清々しい印象でした。
息子が何故鎌倉が好きだったのか、わかったような気がしました。
鶴岡八幡宮で二年前に息子が売っていたであろうおみくじを手に、鎌倉の町を後にしました。
遠くなっていく鎌倉を目で追いながら、息子の名誉を回復して無念を晴らすその日まで頑張ろうと心に誓いました。
これからも目撃者探しを続けていきますので、目撃された方、何か情報をお持ちの方、どうぞお知らせください。
●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名
●署名TV
原田信助の受けた暴行被害について、
十分な捜査を実施し,犯人を起訴することを求める署名
[※] 携帯電話専用です。
0 件のコメント:
コメントを投稿